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バブル後25年の検証
 
「バブル後25年の検証」
モーニングセミナー Discussion Papers

バブル崩壊は、右肩上がりの成長を前提としたわが国の経済や社会構造に大きな影響を及ぼしましたが、視点を変えると、成長型社会から成熟型社会へ、構造改革が急務であることを告げる警鐘であったとも言えます。 G-SECでは、財政、金融、都市、情報、政策、労働、くらし、社会保障、産業組織、科学政策、企業、経済等の分野から有識者をゲストに招き、バブル後四半世紀を検証していきます。

<2013年度 モーニングセミナー開催日程>
上半期 : 5/21(火) 6/11(火) 7/2(火) 7/16(火) 9/17(火)
下半期 : 10/15(火) 10/29(火) 11/19(火) 12/10(火) 2/4(火)
コーディネーター : 竹中平蔵 (G-SEC所長/総合政策学部教授)
 

 
第10回 「経済」 2014年2月4日(火) 
講師 シティグループ証券 副社長 藤田 勉氏

第10回 「経済」 2014年2月4日(火)

 欧州の国際金融センターの歴史は宗教と密接な関係を持っている。1215 年に、キリスト教徒の同教徒への金融業務を禁止し、ユダヤ人に厳しい職業制限を科したことから、ユダヤ人が金融業に進出した。1492 年にはスペインのユダヤ人追放令で、ユダヤ人は当時スペイン領だったオランダに移住し、国際金融都市アムステルダムが発展する。さらに、19 世紀のナポレオン戦乱やポグロムをきっかけにドイツ系ユダヤ資本が拠点をロンドンに移し、ロンドンの国際金融センター化が進んだ。
 イギリスでは、金融制度の自主規制が発達した。1986 年の金融ビッグバンで世界の金融自由化をリードし、1993 年のEU 発足後は、EU 全体がイギリスの金融制度を導入した。
 アメリカでは19 世紀後半に石油、鉄鉱、鉄道などの産業が勃興し、その成功によって金融資産が蓄積された。いわゆるマーチャントバンクが存在しなかったアメリカでは、株式や債券などの直接金融が盛んになった。20 世紀初頭には新しい産業が勃興し、「狂騒の20 年代」と言われる繁栄をもたらした。1929 年に大暴落が起き、1933 年に証券法が成立し、1934 年には証券取引所法が成立して、アメリカの会計監査制度が整備された。
 さて、世界のマネーは10 年に一度大きくシフトしている。1990 年代は「株式・先進国優位」の時代であり、2000 年代にはそれが一転して、「債券優位・新興国優位」に変わり、2010 年代には再び「株式・先進国優位」の時代になりつつある。
 1980 年代以降、世界的な規模で3つの大きなバブルが起きた。1980 年代終わりの日本の資産バブル、1990 年代後半のアメリカでのIT バブル、2005 年から2008 年にかけての世界同時バブルである。
 危機が起きるたびに極端な金融緩和や景気対策が行なわれ、世界の株式相場は「危機→株価上昇」というパターンを繰り返して、バブルを生みだしてきた。好景気・低インフレ・低金利という3条件が重なった結果として、「好景気+カネ余り」が生まれ、バブルが発生する。そして、バブルは姿を変えてやってくる。
 シティグループ証券の見通しでは、2018 年の経済成長率はアメリカ2.2%、日本1.0%で、日米金利差が拡大して1 ドル115 円の円安になり、日経平均は2 万2000 円前後の水準に達すると予想する。この時に、バブル発生の3 条件が揃う可能性がある。株価がかなり大きく上がって相場がオーバーシュートし、結果としてバブルが発生するかもしれないが、そのバブルを防ぐことは難しいだろう。


イベント/講座 詳細ページ : G-SECモーニングセミナー「バブル後25年の検証」【第10回】

PDF file2014.2.4 藤田 勉氏 DP

第9回 「都市」 2013年12月10日(火) 
講師 明治大学 専門職大学院長 市川 宏雄氏

 日本では戦後一貫して、「分散」の考え方を前提として国土計画と都市政策が策定されてきた。1986 年の「第4 次首都圏基本計画」も東京都区部への一極依存構造を是正して分散政策を推進するために「業務核都市」を構想するという計画であり、1988 年の「多極分散型国土形成促進法」でも、分散政策を継続して東京都心に集まる業務集積を周辺の業務核都市に分散させることを目的とした。また、「首都圏基本計画」と表裏一体でつくられている「全国総合開発計画」(全総)の基本的理念は「国土の均衡ある発展」であり分散政策である。
 しかし、1988 年には再開発地区計画制度が施行されて規制緩和型の大規模都市計画ができるようになり、1992 年に都市計画法の改正が行なわれ、用途地域容積比率についての規制緩和が行なわれた。そして、バブルが崩壊するなかで首都圏計画と全総計画が変わり、5 回目の全総計画である「21 世紀の国土のグランドデザイン」は、「多軸型国土構造の形成」という曖昧な基本目標に変えている。
 1999 年に「第5 次首都圏基本計画」が提出され、東京都市圏や東京中心部などが相互に連携しあう「分散型ネットワーク構造」への転換がはかられる。1999 年4月に石原慎太郎知事が誕生し、首都移転反対、環境規制の強化など、特徴的な政策を実行に移した。2001年4月に発足した小泉内閣は、「国土の均衡ある発展」から「個性ある地域の発展」へと大きく舵を切った。2004 年には「三位一体改革」が実行され、分散政策は完全に終焉を迎えた。
 日本全体ではコンパクトな国家になりつつある半面、東京に関しては、東京圏人口増加および東京都の人口増加が今後10 年間は続くとみられている。太平洋ベルト地帯(東京、名古屋、大阪)とその延長上の西日本国土軸上の地区(瀬戸内海から福岡まで)を繋げた部分が日本のエンジンであり、その要に東京がある。2020 年東京オリンピック開催が決まり、「国家戦略特区」で東京は「アジアヘッドクオーター特区構想のバージョンアップ」提案を行なっている。森記念財団都市戦略研究所が毎年行なっている都市総合ランキング(GPCI)のシミュレーションでみると、2013 年には4 位だった東京のランクは2020 年には3 位に上がる。ただし、橋梁など社会資本の老朽化対策と東京首都直下型地震対策が欠かせない。


イベント/講座 詳細ページ : G-SECモーニングセミナー「バブル後25年の検証」【第9回】

PDF file2013.12.10 市川 宏雄氏 DP

第8回 「政治」 2013年11月19日(火) 
講師 政策・メディア研究科教授 曽根 泰教 氏

 1990 年代のほぼ10 年間にわたり、私にとっての最も重要な研究課題は、政治改革に関与しながらであるが、バブル崩壊の認識とその対応がなぜこれほどまでに遅れたのかということだった。1980 年代半ば以降、徐々に地価が上がりはじめ、1987 年の時点で私は直感的に、すでにバブルに入っていたと気付いていた。そして、1989 年12 月の大納会で日経平均株価は終値3万8915 円のピークを付け、翌1990 年1月4 日の大発会で前年末終値比202 円99 銭安を付けた。バブル崩壊の始まりだった。
 政治家はバブルとその崩壊、そして不良債権問題についてある程度知っていたと思うが、不良債権処理の責任を取ろうとはしなかった。当時、なぜ梶山氏がハードランディングを主張し、小渕氏と宮澤氏がハードランディングを避けようとしたのか、政局との絡みがあって解釈が難しいが、改めて検証する必要がある。また、1996 年から1998 年の橋本政権下で行なわれた「橋本6大改革」では金融の自由化・国際化を目指す「金融システム改革」は行なわれたが、「不良債権処理」は最優先課題になっていなかったのはなぜなのか疑問が残る。
 「不良債権処理」は先送りされた。そして、小泉政権下の2002 年に、竹中平蔵・金融担当大臣の「金融再生プログラム」によって、取付などの金融パニックが起きないように十分な流動性を供給し、預金者保護を行ない、不良債権を買い取り、金融機関には資本注入を行なうという不良債権の標準的な処理策が実施された。リーマン・ショック以降、海外でも不良債権を抱えた金融機関に対して同じような処理策がとられている。
 危機管理といえば、多くの場合、軍事的な安全保障(ナショナルセキュリティ)の問題に思われがちだが、経済(金融)のパニック現象に直面した時にどのように情報伝達し処理するかという意味での危機管理が極めて重要になっている。パンデミックに対してはWHO(世界保健機関)が対応することになっているが、金融の世界でのパンデミックに対応する国際機関はまだ存在しない。
 「ゼロ金利」政策と「量的緩和」政策、「インフレターゲット論」、国際金融システムの「リスク・ヘッジ」など、経済(金融)問題は依然として未解決のまま残されている。国際的なファイアー・ウォールはないので、今後も金融危機が起きる可能性はおおいに残っている。仮に再び世界的な金融危機が起きたとしても、それを防ぐ方法は今のところない。せいぜいのところ、その影響を多少緩和させることができる程度にすぎないのである。


イベント/講座 詳細ページ : G-SECモーニングセミナー「バブル後25年の検証」【第8回】

PDF file2013.11.19 曽根 泰教氏 DP

第7回 「社会保障」 2013年10月29日(火) 
講師 嘉悦大学ビジネス創造学部長 跡田 直澄 氏

 日本の社会保障給付費の総額は、バブルが崩壊して経済成長率が低迷しているにもかかわらず増加し続けて、2010 年で100 兆円を超え、GDP(約500 兆円)の5分の1の規模で、一般会計予算の約3分の1を占めている。
 年金給付に関する公費負担は、13 年間の平均で見ると年間約4744 億円増だが、2010 年度は3293 億円の増加である。団塊の世代の参入が始まると約4500 億円増と見込まれるが、それは3年間だけのものであり、約3000 億円の追加的財源があれば足りる。医療費の年間増は約2000 億円程度と見積もることができるので、トータルで年間5000 億円程度の増加に抑えることができる。
 雇用保険については、経済を成長させ雇用を増大させることができれば、給付は自然に減少する。生活保護、児童福祉は、民主党政権の時に制度が拡大解釈された結果、生活保護世帯数が約160 万世帯を超え、約200 万人が生活保護を受けている。これは景気による生活保護の増加というよりは、制度が拡大解釈されて引き起こされている現象である。
 社会保障に関してこれから行なうべきは、景気の拡大・安定化を実現することによって、社会保障費(雇用、生活保護関係)を削減することである。年金については、給付の抑制と個人年金の拡充、そして国民年金保険料を年金税にする。
 医療費については、包括支払制度を拡充し、後期高齢者医療制度を再構築することによって、公的医療給付を抑制するとともに、ジェネリック使用を徹底し、疾病型民間医療保険の整備・拡充をはかる。介護については、要介護度認定を厳格化(再審査体制の整備)し、予防介護を徹底することによって公的介護給付を抑制し、民間介護保険の税制優遇を整備・拡充することである。
 生活保護については、安易な生活保護化の禁止と民間支援団体の支援への切り替え、失業期間の短縮を最大の目標とし、ハローワークの活性化と民間の有料職業紹介を特定職種で認めること。児童福祉については、家族手当に所得制限を付加し、給付額の大幅削減を図り、余剰分は公教育の再建に充てることが必要である。
 日本の社会保障は高齢化で大変なことになると大騒ぎしているが、今の制度を大きく変える必要はない。年金は現役の所得課税で行なうべきものであり、年金を消費税で賄うのではなく、基本的には現行の制度を変えることなく、強い制度を作っていく必要がある。


イベント/講座 詳細ページ : G-SECモーニングセミナー「バブル後25年の検証」【第7回】

PDF file2013.10.29 跡田 直澄氏 DP

第6回 「情報」 2013年10月15日(火) 
講師 環境情報学部学部長 村井 純 氏

 インターネットが一般的に使われはじめたのは、Internet Explorer がバンドルされたウィンドウズ95 が発売された1995 年以降。アメリカのOS やUNIX などの開発者のほぼ全員がビジネスの世界に移ってしまい、90 年の終わりにはアメリカの大学は留守状態で、私は慶應義塾大学で研究者として、世界の開発の中心的役割を日本で担っていた。
 2000 年以降、竹中平蔵教授からの素朴な疑問がきっかけになって、私は政府のIT 政策策定に深くかかわるようになった。2013 年には、第二次安倍内閣の新たなIT 戦略として「世界最先端IT 国家創造」宣言が閣議決定され、各省庁が持っている公共データの公開と横断的検索を可能にする「データカタログサイト」を立ち上げて運用を行なうことになった。
 インターネットの世界では、「グローバル」は当たり前のことであり、インターネットで世界が繋がったのでグローバル社会が機能しはじめた。ところが、いまインターネットはいろいろな意味で「ローカル」の側面を持ちつつあり、「ソーシャル」も欠かせない要素になっている。さらに、インターネットは「パーソナル」で、個人でかなり大きな仕事ができるようになっている。「モバイル」は、当初ほとんど予想しなかったことで、通信機とコンピュータが人間の体の一部のようになっている。このような時代が訪れたことはまさに驚きである。
 2001 年には世界同時多発テロが起き、航空ネットワークが遮断されてアメリカは孤立化した。この事件を契機に、インターネットを規制する法律が続々と議会を通過した。そのような動きに対して「インターネットの中立性」が重要視されるようになった。2012 年には国連が、インターネットへのアクセスは「人間の権利」であるという議論を開始し、2013 年には、グローバルなインターネットの技術調整を行なうすべての団体が共同で「モンテビデオ声明」を発表した。
 2020 年に世界人口80 億人の80%がインターネットを使うようになる。インターネットが前提となり、新しい重点要素は「人」「位置」「時刻」「実時間」「開放」「安全」の6 つとなる。これらのインターネットの要素に関わる課題を解決するためには「北風」政策ではなく「太陽」政策が重要だ。もう一つのイソップ寓話、食べたい一心で懸命に葡萄に飛びつくキツネのように、夢の実現と課題の解決をめざすすべての人の足元の台となること、それがインターネットの役割である。


イベント/講座 詳細ページ : G-SECモーニングセミナー「バブル後25年の検証」【第6回】

PDF file2013.10.15 村井純氏 DP

第5回 「生活」 2013年9月17日(火) 
講師 電通総研 研究主幹 袖川 芳之氏

 バブルは1986 年ころから始まり、89 年末の株高でピークを迎え、90 年以降の株価暴落で終わるが、バブルの5 年間は、日本がまさに狂喜乱舞した時代だった。人々の消費マインドが外向きになり、海外旅行に出かける旅行者が急増し、「広告コピー」が欲望創造の役割を果たした。さらに人口が多く世帯消費支出が多い年齢に差し掛かっていた「団塊の世代の消費」の実需がバブルを下支えしたといえる。商品では、「高額、大型、高性能」の新商品がおおいに売れた時代でもあった。
 しかし、その後20 年間以上の不況を経験することになる。「倍返し」どころか「4倍返し」されたわけである。
 バブル期とは、消費の絶頂期ではなく、日本の第二のピークの「終わりの始まり」だった。そして、バブル崩壊後には、産業革新が行なわれることなく、生活の充実のために「生活大国5 か年計画」などが実施された。しかし、家族を作って消費をするという、戦後に日本が成功した生活ライフスタイル以外のライフスタイルを見つけられなかった。そして、巨額の財政赤字を作ってしまった。
 バブル崩壊が明確になった時、グローバル経済のルールが変わっていたが、日本経済はそれに対応できず、国際競争力は大きく低下した。そして、意識的、無意識的に現役世代が守られた。現役世代は、自らの世代が社会の重しになっている自覚がない既得権者であり、いままでの社会を築いてきた功労者である自分たちが守られるのは当然だと考えていた。一方で、将来世代の門戸を閉ざしてしまった。
 そのことによって、若者が産業界に入ってきにくくなった。新産業を作る機運を作れず、若者たちが仕事での自己実現、起業、職住近接、生涯現役で働けるような仕事や生き方を開発できなかったことにも繋がった。
 その結果、現役世代は、負債を抱えたまま守りの生活戦略をとり、攻めの生活戦略やリスクがとれなかった。企業は2000 年以降、比較的豊かなシニア層をターゲットにして、若者へのエデュケーション(気づきを与えること)を怠り、若者もラーニング(学ぶこと)を怠ってきた。将来世代は低収入となり、低価格志向が強くなりデフレが深刻化していった。
要するに、1990 年初頭に株が暴落してから、バブル崩壊を自覚するまでの約4年がターニングポイントであり、その間に若者が就職できず所得もないという問題と、シニア世代の年金問題が起き、日本社会としては将来世代よりもシニア世代を救うという選択を行なった。これがデフレを深刻化させた要因になったのである。


イベント/講座 詳細ページ : G-SECモーニングセミナー「バブル後25年の検証」【第5回】

PDF file2013.9.17 袖川芳之氏 DP

第4回 「産業政策」 2013年7月16日(火) 
講師 東洋大学教授 松原 聡 氏
 産業政策とは、国際競争力の強化や経済成長の促進などの目的を達成するために、政府が特定産業の保護・育成等を行なう政策である。高度成長期には、日本の産業政策は高度成長の秘密だといわれ、世界から賞賛された。2001 年以降、小泉政権のもとでの規制改革の流れが主流となり、市場に任せるべきだという考えも出てきた一方で、国際受注競争が激化し、国際競争に勝つための新たな産業政策が必要になっていることも事実である。
 もとより「完璧な産業政策」などあり得ない。経済の原理から見れば齟齬をきたしている思われる産業政策も少なくない。また、政治のブレによって恣意的な産業政策が実施され現場が混乱することもある。
 例えば、タイでは、人材育成を目指して、タブレットPC を無償配布して子どもの学力向上による国力増強を目指した政策が進められている。日本でも2010 年代中に1 人1 台のタブレットPCを整備する政策が進められていが、国内のコンピュータ産業育成・保護のために、国内メーカーに供給させようとして政策の焦点がブレてしまっている。
 また、日本のタクシー業界は、2000 年の「道路運送法改正案」による規制緩和と、2009 年の「タクシー適正化・活性化法」によって翻弄されている。
 郵政民営化問題でも政治のブレが大きな問題を残している。2005 年に「郵政民営化法」が成立したが、7 年後の2012 年には民営化に逆行する「郵政民営化法改正案」が成立した。政治の介入によって、日本の成長戦略にとって大きなマイナス要因が生まれた。
 電力については、1995年から数回に渡り、発電部門における競争原理の導入、小売部門における「自由化」の促進、一般電気事業者と新規参入者(新電力)との競争条件均一化を図るための電気事業制度改革が実施され、電力需要全体の6 割〜 7 割を占める需要家(大口需要家)は、電力の購入先を選べるようになっている。しかし、現実には、そのような調達は、全電力需要の3.8%にすぎない。ここまで改革が進んでいるにもかかわらず、全体の販売電力量に占める新電力のシェアがゼロに近い水準で推移している理由を検証することが重要である。
 このようないくつかの産業政策の検証を通して、産業政策とは何か、いかにあるべきかという大きな問題を考えていきたい。

イベント/講座 詳細ページ : G-SECモーニングセミナー「バブル後25年の検証」【第4回】

PDF file2013.7.16 松原 聡氏 DP

第3回 「労働」 2013年7月2日(火) 
講師 千葉商科大学 学長 島田 晴雄 氏
 雇用格差が国民の間に希望格差を生んでいる。失業者のみならず、フリーター、派遣労働、非正規雇用などの不安定雇用が増大し、終身雇用で守られている人々がいる一方で、将来に希望を持てない人々が増大している。
 このような希望格差が生まれている最大の原因は、メガトレンドの変化にもかかわらず、旧態依然たる雇用制度や労働慣行が残存しつづけていることにある。高度成長が終焉し、グローバリゼーションが進展し、若年人口の縮小と女性就業が増大した結果、日本の雇用制度を支えた根幹はほとんどすべて崩れたにもかかわらず、40〜50年前に出来上がった「終身雇用、年功賃金、企業内組合」という日本の雇用制度の仕組みだけがほとんど変わらずに残っているという矛盾である。
 その矛盾が表面化して若者が大きな不利益を被っている。日本の失業率は4-5%だが、15〜24歳の失業率は8-10%に達している。完全失業者270万人の半数以上が若年失業者である。また、フリーターが400万人、ニートが80万人、さらに、朝から晩まで必死に働いていても暮らしていけるだけの所得が得られない「ワーキングプア」が800〜900万人いると推定されている。さらに、「失業保険」「最低賃金」「生活保護」から成り立つ日本のセーフティネット(最低生活保障制度)も、正規雇用・男子世帯主・フルタイム・長期雇用が前提され、その条件が何らかの「事故」で崩れた時に彼らを救うための制度であり、必死に働いても貧しさから抜けられない「ワーキングプア」には対応できないのである。
 一方、政府は、派遣労働法制の改悪、高齢者雇用の義務付け、最低賃金の引き上げ、「雇用調整給付金」など、メガトレンドに逆行する政策ばかりを行なっている。
 いま求められているのは、日本の労働を取り巻くメガトレンドにふさわしい雇用制度と雇用政策、そして生活保障政策に大転換することである。例えば、「同一労働、同一賃金」の大原則を実現することである。また、解雇法制を改革し、労働の流動化をはかり、労働の多様化を促進することである。さらには、安定雇用やモデル家族からはずれる人が生涯にわたって「人並み」の生活を送ることができるように社会保障制度を拡充することである。そして、個人起点のキャリア形成支援と総合的なキャリア支援政策を実施することである。

イベント/講座 詳細ページ : G-SECモーニングセミナー「バブル後25年の検証」【第3回】

PDF file2013.7.2 島田晴雄氏 DP

第2回 「金融」 2013年6月11日(火) 
講師 早稲田大学 政治経済学部教授 原田 泰 氏
 日本経済の長期停滞については、さまざまな要因が指摘されている。
 第1は、バブルとその悪影響によるという議論。バブルは過大な銀行貸出を伴うので、バブル崩壊後には金融危機が起きるのが通常である。しかし、戦後、先進国が18回の危機を経験したのに、危機以前の成長率に戻らなかったのは日本だけである。第2は、銀行システムの劣化によるという議論。しかし、銀行貸出と生産との間には何の関係も見出せない。そうすると、銀行の不良債権を処理すれば銀行貸出が増加し、銀行貸出が増加すれば経済が良くなるという議論には疑問がある。第3は、日本経済が非効率になったという議論。しかし、日本は1985年日本電信電話公社、87年には国鉄の分割民営化などの構造改革を続けてきた。構造改革を進めているのにもかかわらず、日本経済はバブル崩壊後20年以上にわたって停滞を続けてきた。第4は、人口減少と高齢化によるという議論。確かに人口減少と高齢化によってGDPの成長率が低下するのは当然である。しかし、バブル期の4.5%成長からから1%成長に減速してしまった要因を人口減少だけで説明することはできない。
 そして、第5が、金融政策の失敗によるという議論。バブル崩壊後、1990年代央に円高になったときに、金融政策で何の手当ても行なわなかった。これが第1の失敗である。バブルで大幅な借り入れを行なったあとデフレになれば、実質債務が増えて大変になるのは明白であり、円高にしてはいけなかった。
 1997年11月には金融機関の連続倒産が起き、日銀は約4兆円の特別融資を実施した。しかし同時にその分のマネタリーベースを減額してしまい、13カ月間もの長期間にわたって「意図せざる金融引締め」を行なってしまった。これが第2の失敗である。
 2000年にはゼロ金利解除を行なったが、なにもITバブル崩壊の時にゼロ金利解除をすることはなかった(第3の失敗)。そして、2006年の量的緩和の解除もまったくの誤りだった(第4の失敗)。さらには、2008年のリーマンショック後の円高に対して何も行なわなかった(第5の失敗)。
 1990年代央以降、約3年に1回のペースで金融政策の失敗を繰り返している。1回の失敗で2〜3年は実質GDPが停滞する。金融政策の失敗を繰り返していれば、長期的にも経済が停滞するのは当然である。

イベント/講座 詳細ページ : G-SECモーニングセミナー「バブル後25年の検証」【第2回】

PDF file2013.6.11 原田 泰氏 DP

第1回 「財政・マクロ経済」 2013年5月21日(火) 
講師 嘉悦大学ビジネス創造学部教授 高橋 洋一 氏
 バブル後、公共支出などの財政政策を中心とする総合経済対策が繰り返されたが、景気は良くならなかった。財政政策が効かないことについては財政当局も認識していたにもかかわらず、その原因についての認識が不足していた。
 バブル崩壊後の日本経済は、現象としてはデフレ経済と名目成長率の低下があり、その結果として財政赤字が深刻化した。2000年代以降、財政再建について「経済主義」と「財政主義」という二つの考え方が登場した。「経済主義」では、政策的にはデフレ脱却が最優先課題となる。「財政主義」では、政策的には増税路線を主張し、金利よりも成長率のほうが低くなると考え、税収の弾性値を低めに見積もる傾向がある。しかし、景気回復局面での直近の税収の弾性値はそれほど低くないので、経済成長をすれば財政再建の可能性が出てくると考えられる。
 財政再建のポイントは債務残高の対GDP比が発散しないようにすることであり、そのためには基礎的財政収支(プライマリーバランス)をバランスさせることが必要になる。
 基礎的財政収支の対GDP比と1年前の名目GDP成長率との間にはきわめて高い相関関係にあることと、名目GDPは2年前のマネーストックの増加率によってほとんど決まることがわかっている。そこで、4〜5%の名目GDP成長率を目指すのであれば、マネーストック増加率を7〜8%にすればよい。その結果として財政再建が可能になる。
 バブル期以降、金融政策への無理解と日本銀行のバブル後の対応の失敗によって、マクロ経済のパフォーマンスが低下するとともに、間違った景気対策を連発することによって、財政赤字が拡大した。財政再建が必要になった原因を理解せずに財政再建を行おうとすると、「財政主義」が主張するような増税路線を走ることになる。
 金融政策を使わずに経済を復活させるのは難しい。そして、増税は金融政策の効果を減殺する可能性がある。金融政策を行ないつつ増税を行なうのは、車の運転に喩えれば、アクセルとブレークを同時に踏むようなものだ。しかも、変動相場制であっても、イギリスの例に見られるように、増税は、結果として経済成長を阻害する可能性が高く、かえって財政再建を難しくする。それは、経済学への無知と、バブル後25年の検証がきちんとできていないがゆえのことである。

イベント/講座 詳細ページ : G-SECモーニングセミナー「バブル後25年の検証」【第1回】

PDF file2013.5.21 高橋洋一氏 DP

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